温故

西暦にして1691年、今からおよそ320年前の元禄4年。
「護身法」という念仏書きの文が八木家に残された一番古い文書であり、文末に八木平右衛門の署名がある。
八木家の家紋は紅葉(○にかえで)裏紋(女紋)は稲穂である。
八木平右衛門は、元禄十二年に位牌に記載がある「真相浄空上座」だとすると、四代目。
名字がありしかも“平右衛門”を名乗っているところをみると、ただの百姓ではないようだ。

「宮大工八木の創業は天正年間」という伝聞もあながち嘘ではないかもしれない。
位牌によると八木家の開祖は柏来道貞禅定門と樹月宗心禅定尼、没年は記載がなく不明であるが、
前述の四代目あたりからは、没年の記載がある。
現会長の八木晨寿は十五代目となる。

名字が「八木」であり「江戸城の修繕のために西国から移住してきた。」という言い伝えもあることから、
技術者の集団であったことは間違いない。
事実江戸城の修復には携わっていたようで、「江戸御屋敷櫻樹開盛画」という銘の一幅の絵も残っている。
(「御本丸御普請之節 御頂戴致置者也」とある)古文書は十四代目、故八木基治が「門外不出の家宝である」と整理もしないまま納戸にしまっておかれたのだが、
先年、愛川町教育委員会のお骨折りもあり、資料として整理され、その一部を原寸場兼アトリエに展示しているものである。

長い間続けているということは、かならず栄枯の波があるということで、たくさんの資料が残されている時期もあれば、一遍の記録すらない時代もある。
祖先が歩いてきた長い長い道のり、続けてきたからこその今であり、続けていくからこその未来であると思っている。


  gosinnhou
・護身法
  江戸御屋敷櫻樹開盛画
・江戸御屋敷櫻樹開盛画